イエスマン

上司の言うことには絶対に反論しない人たちのことを、イエスマンと呼ぶらしい。

上司自らがイエスマンの取り巻きを求めているのなら、そのコミュニティ内では全員幸せなのだろうから、それはそれでよい。(そのコミュニティが正しい方向に向かうかどうかはしらない。その上司次第か。)

自分の考えに対して、時と場合によって真っ向から反発してくれる、自分の間違いを正してくれる部下を求めているにも関わらず、なぜかイエスマンだけが集まってしまう。そんな上司はかわいそうだ。

上の立場の意見に反論することは、個人的には苦ではない。上に反論して、それに対してさらに反論されて、それで自分のレベルがあがることもある。逆もまたしかりで、部下から反論されても、別に苦ではない。それがきっかけとなって、より深い洞察ができることもある。

ただ、他人に反論するには、多少のエネルギーが必要だ。反論する行為にもエネルギーがいるし、そこから生まれる軋轢を最終的に良い方向に持って行く過程にも、エネルギーがいる。時には、そのエネルギーを消費することがおっくうになって、流してしまうことがある。そのエネルギーを別のことに使いたくなることもある。

今日はいくつか流してしまいました。

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