NIFTY-Serve閉鎖とパソコン通信の思い出

僕のホームグラウンドはPC-VANだったので、PC-VANがなくなったときのさみしさに比べれば、今回のNIFTY-Serveの件はそれほど悲しい出来事ではないのだけれど、やっぱり、心がざわつく感じはあります。
たしか、僕が初めてパソコンを電話回線につないだのは、1990年頃のこと。モデムはNECの2400ボーでした。貧乏学生だった僕は、当然のように定額課金制のPC-VANをチョイスして、従量課金制で上限が青天井だったNIFTYは、PC-VANではどうしてもダウンロードできないフリーウェアを落とすときだけつないでいたと思います。
SIG(NIFTYでいうフォーラム)にもいくつか参加していて、けっこう書き込みもしましたが、残念ながら当時のログは残していないので、自分があのころ、何を考えてどんな文章を書いていたのかは、今となってはあまり覚えていません。しばらくはフロッピーディスクに入れて保存してあったのですが。もったいないことしました。
常時接続の今では想像しづらいと思いますが、あのころは少しでも電話代を節約するために、オートパイロットといって、あらかじめ自分が読みたいボードとかをマクロ言語のようなもので指定しておいて、電話をかけるところから切断するところまで、マクロでいっきに行う、ということを当たり前のようにしていました。
ネットの知り合いもたくさんできました。今よりも当時の方がネット友だち多かったし、オフ会の参加回数もあのときの方が断然多かった。今のMixiの会員数と同じくらいのユーザー数で、適度に閉じられた世界という、安心感があったのかもしれません。
あぁ、なんだか、こんなことを思い出しながら書いていたら、本当に懐かしくて、やっぱりパソ通がなくなってしまう事実が悲しくなってきてしまいました。
ついでに、こんなページも見つけてしまい、懐かしさ倍増です。非DOS系以外のほとんどのフリーウェアを、毎日使ってました。
第1回フリーソフトウェア大賞 受賞作品

2 comments to NIFTY-Serve閉鎖とパソコン通信の思い出

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